雑記

大きな悲しいことをしてしまった自分の反省を機に、自分は人のことを考えれていなかったと気付かされた。

とにかく、様々なことが怖い。人が何を考えているのかわからなくなってきた。

 

一生わからないと思う。怖い。引きこもりたい。延々と曲を作っていたい。人が好きだ。でも好かれるにはどうしたらいいのか分からない。積極的に僕はなにかを、できることをするしか見えない。努力して何かを変えることは見えないし怖いのだ。

 

診断がされなくても、自分はアスペである気質は疑いようがない。

人と話していても時々わからなくなっていく。

自分は会話に飽きてるのではなく、わからなくなっていると気づいた。

 

ああ、文章もまとまりがないね。

 

まとめられないのだ。すぐには

刹那の思考だけがそこにある

 

言葉を捉えるのは難しい。

霧吹きのように、思考は吹き出て拡散して消える。

形がないものはどうやって表したらいいのか。消えていくものをどう捉えればいいのか、

 

わからない。

 

本音も本音じゃないかもしれない。思考の論理はあるが客観的ではないようだし。

 

それでも、流されつつも、乗り越えるしないようだ。

 

自分のやってしまったことを、二度と繰り返さないために

 

悲しい。

#2

週末は 最寄りと逆の 駅に行く 金曜だから 渋谷がいい

なんとなく 胃が重いけど 原因は カレーか中華 あるいは酒か?

 

 

ここ最近のこと。

先週木曜日、会社を休み、病院に行った。心療内科に行った。発達障害のテストを受けた。アスペルガーの診断テストだった。最初に軽く問診があり、どういう状況なのか、診断結果をどうしたいのか聞かれた。自分は今苦しくて、困っている。初めての環境だということ、悲しかったこといろいろ話した。その後、テスト開始。テスト自体は簡単なもので、どうやら処理能力の強度を計測しているようだった。自分は絵を見て答える問題は早くできた。だけど、頭で想像したり、複数の処理を行う問題は大変だった。

例えば、1、8、2、9、8とあったら、暗記して、小さい順に並びかえるテストや、言葉の意味を説明するテストは難しかった。なるほど、、俺はこういうことが苦手なのか。。と思った。診断結果は一ヶ月後、家に戻り、泥のように寝た。めちゃくちゃ疲れた。夜は酒を飲んだ。

宇宙から

今までは運が良かったのだと思う

気がつけば孤独感を感じてしまう性格だったことを思い出した。

他人が何を感じているのか全くわからないし、自分が何を考えているのかもわからない。

 

もっと早く自分がアスペルガー症候群だと気がついていたら、認識していたらいろんな結果は変わっていたと思う。

とにかく助かりたいし、どうしたらよいのかもわからない。

 

アスペルガー症候群の人は、自分が宇宙人のような孤独感を感じるらしい。

自分は受け入れてもらうこと、受け入れることが最大の孤独感を解消することだと思っている。

だからそれこそが最大の愛だと思っていたし、自分の親、兄弟はそうしてくれた。

 

自分も相手を受け入れることが愛だと思ったけれど、すべての人がそういうわけではないのだ。自分は力不足だった

 

自分の孤独感は一生付きまとうものかもしれないし、どうなるかわからない。

 

少しでも、自分は長く生きたい。地球でたった一人の孤独感を感じつつも。

明日から、また不安だ

段取り

段取りがすごく苦手だ、人とのコミュニケーション、想像ができない。

苦手だと思って諦めている部分があるかもしれないが、難しい状況だ。

 

何より誰にも迷惑はかけたくない。のは本音であり、全員幸せでいいものを作りたい。

 

だけど、だけど、時間や空間の中で自分の位置を想像することが苦手だ。

相手が何を言っているのか理解をすることが苦手だ。

自分が今すべきことを導き出すことが苦手だ。

誰に、相談すればよいのか全然わからない。

誰が何を知っていて、自分が何を知らないのか認知できない。

 

どうしたらいいのかを知りたい。

 

来週心理検査を受ける。

 

結果は正直どうでもいい。

 

ただ、自分が生きやすく。周りも幸せにしたい。

 

乗り越えていきたい。

 

初めて

ASD傾向の人は自らを内省することが苦手で、自分が何を思って、何を感じて、表現をするということが非常に苦手である。とあった。

 

本にもWEBにも。

なるほど、確かに人生に置いて本当にそうだと思う。

部屋の温度、季節の変化、水分補給において全く気がつけなかった。

 

自分がなんで苦しいのか、そもそも苦しんでいるのかも気がつけないのだと思う。

自らが面白いと思った瞬間を留める短歌を始めたとき、初めて使う脳みその部分があると感じた。

もはや、短歌は自分が生きていくためのライフライン、表現の訓練なのだ。

 

常に自分が何者なのか、何を感じているのか。悩んでいきたいと思う。

境目

自分の内側と外側の境目がとっさにつかない時がある。

境目というと境界線があるわけではなくて、とっさの判断で

自分が知っていることは相手も知っている前提で話を進めてしまったり、

自分の感覚が相手にも共有されているように感じていたりする。

 

パニックなのかどうかでもなく共感力の乏しさ、想像力が生まれつきないのかもしれないし、そもそも相手の感覚に立とうとする気概がない。

 

想像力や感覚の共有という意味で短歌は楽しい。自分の想像と相手の想像が交わるように思う。

 

短歌は続けていく。楽しいから、自分にできるから、意味があると思うから。

 

境目は目に見えないから自分で見えるようにしていきたい。